1945年以降に引かれた「朝鮮―日本」、「北―南朝鮮」(38度線)という新たな2つの「境界線」を自らの足でこえた忘れられた在日朝鮮人作家の未刊行作品群を解説とともに初公刊!
1942年、朝鮮人初の短歌集を刊行した人物でありながら、その存在は今ではほとんど忘れ去られている朝鮮人作家、尹紫遠(ユンジャウォン、1911-1964)。
1946年夏に発生した南朝鮮でのコレラの流行により強化された連合軍と日本による朝鮮人管理・海洋警備を背景に、玄海灘を命懸けで渡る人々を描いた長編「密航者の群」に加え、米占領下の東京であまれた詩、「解放」後の釜山で引きあげ家族が直面する厳しい現実を描いた「嵐」、1949年東京で「パンパン」に中古ストッキングを売る夫と生活のため売血する妻を描いた自伝的要素の強い「人工栄養」など、未刊行の重要作品5つをあつめた作品選集を刊行。
琥珀書房YouTubeチャンネルにて、尹紫遠紹介動画と、尹紫遠が死の一〇日ほど前に病床にて自作「或る船乗りの話」を自ら朗読、録音した音声データを公開中!
書籍概要
【こはく文庫001】在日朝鮮人作家 尹紫遠未刊行作品選集
- 著:尹紫遠
- 解説:宋恵媛
- 定価:本体2,000円+税
- ISBN:978-4-910723-29-7
- 体裁:A5判並製、約150頁
- 2022年12月刊行
目次
一.「焼跡」(一九四六年/一九四七年)
二.「大同江(その一)」(一九四七年)
三.「嵐」(一九四七年)
四.「人工栄養」(一九五九年)
五.「密航者の群」(一九六〇-一九六一年)
解説 狂濤の時代に二つの国境をこえて 宋恵媛
未収録の作品
尹紫遠作品一覧
著者プロフィール
尹紫遠(ゆん じゃうぉん)
尹紫遠(本名:尹徳祚:ゆんとくちょ)
1911年、朝鮮半島蔚山に生まれる。幼い時に朝鮮総督府の土地調査事業により一家は土地を失う。書堂(漢文を中心とした私塾)と植民地下の初等教育を受ける。13歳の時、長兄を頼り単身横浜へ。1942年の時に自伝的短歌集『月陰山』を刊行。徴用を逃れるため1944年に朝鮮半島北部へ(現在の北朝鮮、松林市)。日本軍の武装解除のため米ソ軍の分割占領ラインとして引かれた38度線をこえ、南朝鮮へ移動。「解放」後の混乱する南朝鮮を目の当たりにし、同時代の多くの朝鮮人がそうしたように日本への再渡航を決意。1946年に蔚山から日本へ「密航」。山口県にたどり着く。戦後日本で小説家を志す。1947年5月、金達寿、 金元基、李殷直らとともに在日本朝鮮文学者会を結成し短期間であるが責任者を務める。東京にて朝鮮国際タイムス社勤務、行商などを経て、クリーニング店を妻と経営。戦後の著書に『38度線』(早川書房、1950年)がある。日韓国交樹立の前年、戦後は一度も故郷の土を踏むことなく、1964年に死去。玄海灘に沈んだ朝鮮同胞を胸に、死の間際まで自身の壮絶な越境の経験と、その背景になった時代状況を書こうとした。
宋恵媛(そん へうぉん)
博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ ソミョン出版[韓国]、2019年)、編著に『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014 年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等、訳書にキースプラット著『朝鮮文化史──歴史の幕開けから現代まで』(人文書院、2018年)がある。
版元から一言
こはく文庫の第一弾は、尹紫遠の未刊行作品を5つセレクションしたものになりました!
小説についてはどの作品も尹紫遠の実体験が重ねられていることもあり、日記とあわせて読むことで一層想像がふくらみます。戦後の苦しい生活や占領下東京の様々な要素が描かれた「人工栄養」は、短編ということもありぜひ一度お読み頂きたいです。「パンパン」の女性たちに中古ストッキングを売り歩き得たなけなしのお金は、苦しむをまぎらわすアルコールに消えていき、そして妻への暴力につながっていく・・・。長編「密航者の群」は、尹紫遠の人生のテーマをすべて注ぎ込もうとしたものだったでしょう。しかし、それも磨き上げる時間は尹紫遠には残されていなかったことが痛感される不思議な作品となっています。
朝鮮解放/日本敗戦から数年の間に朝鮮から日本に渡った朝鮮の人たちは相当な数になるようですが、この時代の移動体験を残した作品は貴重だということ。
ただフィクションとしてではなく、下記のような思いを抱き、日本語で創作に挑み続けた尹紫遠が刻んだ20世紀の移動の記憶を世に残せたことを嬉しく思います。
おれの創作の内容は尹紫遠個人の物であってはならない。少なくとも朝鮮人の代弁者でなくてはならない。〈「尹紫遠日記」一九五三年一月七日〉