明治の欧化政策からの転換期、大正初期に刻まれた東洋芸術の模索と抵抗
「特に今日東亞の藝術が西歐藝術の威風の下に氣息奄々たるの實況を見るに及んで豈に長嘆大息せざるを得んや。吾徒茲に慨する所あり、同志胥謀り東亞藝術の恢興を以て目的と爲し、本誌發刊の舉を敢てするに至れり。江湖博雅の君子、若し吾徒と感を同ふせば冀くは、吾徒の斯舉を河漢視する勿れ。」(『東亜芸術』創刊号冒頭より抜粋)
明治期の西欧偏重の美術界の在り方が問い直され、首都では東京大正博覧会が盛況をあげるなか、近代以降の東洋の伝統に立脚した様々な芸術がなおざりにされていく現状に異を唱えた雑誌がうまれる。
「現代唯一之東洋文藝美術雑誌」と銘打たれ、書・画・建築・文藝・宗教・歴史と各界一級の人士を招き東亜の芸術の隆盛を目指した短命なる本誌は、転換期の唯一無二の営みを伝える。
書籍概要
『東亜芸術』復刻版 1914年4月〜1914年10月 全7号
発行:東亜芸術社
- 解説:戦暁梅(国際日本文化研究センター)
- 推薦:菅野智明(筑波大学)・西川貴子(同志社大学)
- 定価: 本体39,000円+税
- ISBNセットコード:978-4-910993-29-4
- 体裁: A5判並製、全7冊+別冊、総約700頁
(別冊にて、解説・総目次・執筆者索引を付す) - 原本: 神戸大学附属図書館・個人蔵
推薦文より
この度、倉林蠻山を主筆とする『東亜芸術』が復刻されることになった。同誌は従来ほとんど回顧されてこなかっただけに、百十年の時を隔てて、往時の芸苑の「新風」が今に吹き込まれることを慶びたい。
明治四四年、兄の倉林一圃とともに書道奨励協会『筆之友』で書の研鑽に励んでいた蠻山は、兄を凌いで急速に頭角を現し、四五年三月には同誌の編輯部長を担うまでに至った。その蠻山が書の一門に安住することなく、「現代唯一之東洋文芸美術雑誌」(『東亜芸術』第二号以降の目次欄)という総合的な東洋芸術・文化誌を創刊させたのである。蠻山をして、この瞠目すべき壮挙を敢行せしめた契機とは、いったい何だったのだろう。
一つの示唆が、『筆之友』と『東亜芸術』との執筆陣の重複に見出される。それは、書の専従者が『東亜芸術』で多勢を占めたということではない。そもそも『筆之友』の執筆陣は、専業の書家ばかりではなかった。蠻山が関わり始めた明治末年の同誌では、黒板勝美が古文書を講じ、尾上柴舟が和歌の撰者を担い、杉原夷山が近世漢学者の評伝を執筆していた。洋画家の中村不折が書を論ずるのに対し、前田黙鳳の挿画が時に同誌を飾りもした。この傾向は、法書会の『書苑』において、建築史家の関野貞や「支那通」の後藤朝太郎が寄稿するのと同根である。書の専門誌は、却って専門の垣根を低くし、隣接する諸芸・諸文化との横断・融通を基盤とするのだった。
専門から総合への視点の移動―それは上記のように、書の本来性に根差すところもあれば、蠻山が臨済禅の修行を積んだ釈家であったことに因む面もあるかもしれない。ともあれ『東亜芸術』では、流石に書の専門誌には窺えない名立たる文豪や論客の寄稿が目につく。蠻山の面目躍如といったところか。蠻山が挑んだ隣接諸領域を統べる企ては、細分化された専門を見直す動きが生じつつある今日にあっても響くものがある。本誌を推薦する所以である。
菅野智明(大学)
『東亜芸術』という雑誌はその名の通り、「西欧の芸術」を強く意識して刊行された雑誌だ。創刊は第一次世界大戦勃発直前であり、刊行中は大戦まっただ中。文学研究の領域ではあまり馴染みのない雑誌だが、この時期の美術界のみならず思想界の風潮が見てとれ、繙いてみると色々なことに気づかされる。書画や美術関連の記事が多い印象を受ける雑誌だが、文学者として『東亜芸術』に積極的に関わった人物に、巖谷小波と幸田露伴の二人がいる。
まず巌谷小波は「言文一致論」(創刊号では「予が小説に於ける言文一致」、一巻二号では「予がお伽噺の言文一致」という題で、四号以降、「言文一致論」となる)という文章を寄稿している。この論文では、子ども向けの作品を言文一致で書く際の苦労譚や、ヨーロッパ・アメリカを旅した経験をもとに、日本における「言文一致」について考察されており、当時の言文一致に関する考え方を見る上で重要な文章となっている。また本論の末尾は、「更に進んで洋服を着たり洋食を食ふ世の中であるならば、もう一層進んで羅馬字を用ひても宜からうと思ふ。」と結ばれており、漢詩や書をことのほか多く掲載している本誌にこの文章が載せられている点も興味深い。
(中略)
このように、新たな発見もあり貴重な『東亜芸術』という雑誌。一九一四年の文化の様相を知る上でも、ぜひ手にとって見てほしい。
西川貴子(同志社大学)
主要執筆者
荒木十畝・伊東忠太・巖谷小波・尾上柴舟・大村西崖・茅原華山・加藤咄堂・河野桐谷・日下部鳴鶴・黒板勝美・黒田鵬心・幸田露伴・後藤朝太郎・笹川臨風・杉原夷山・関野貞・高安月郊・瀧村斐男・竹内久一・富本憲吉・中條精一郎・内藤鳴雪・中川忠順・中村不折・鰭崎英朋・前田黙鳳・望月金鳳・山路愛山
著者プロフィール
戦暁梅(せん・ぎょうばい)
2001年総合研究大学院大学博士(学術)。
東京工業大学准教授を経て、現在、国際日本文化研究センター教授。専門は日中近代美術交渉史。
著書に『鉄斎の陽明学』(勉誠出版、2004年)、共編著に『近代中国美術の胎動』(瀧本弘之との共編、アジア遊学168、勉誠出版、2013年)、『近代中国美術の辺界ー越境する作品、交錯する藝術家』(瀧本弘之との共編、アジア遊学269、勉誠出版、2013年)。論文に「渡辺晨畝と「日満聯合美術展覧会」」(上垣外憲一編『一九三〇年代東アジアの文化交流』思文閣出版、2013年)などがある。
版元から一言
今回の復刻資料は、一風珍しい大正初期の文化資料になります。
国会図書館に所蔵はなく、これまでの研究でも光があたってきたとは言えない雑誌と言えると思えます。
(大宅壮一文庫の雑誌創刊号紹介で、わずかに紹介されたことが唯一の事例かもしれないです。)
しかし、各界の一級の人物の名前が並び、第一次世界大戦前後という時代背景の面白さもあり、初めて見かけたときからぜひ研究者の皆様に紐解いていただきたいと感じておりました。
書道史関係の方々に問い合わせてもやはり知られていない模様、ただ、目次や内容から、多くの方に関心をお持ちいただけました。
そして、ちょうど京都に赴任された戦暁梅先生は丁度、『東亜藝術』でも交流が記される、廉泉(れんせん)という中国人の書画コレクターの研究に取り組んでおられました。
お忙しい中解説に取り組んでいただき、「時代を映し、時流に抗う異色の雑誌」としてその価値をご紹介いただきました。
せっかくなので、ここに目次を掲載しておきます。
「時代を映し、時流に抗う異色の雑誌」
・一、書画に造詣の深い執筆陣、美術論から文明論まで展開
・二、東京大正博覧会書部門の審査不公に対する筆誅
・三、近代日中美術交流の視点から―廉泉と小萬柳堂書画コレクションをめぐる情報
・まとめ
詳しくは解説をご覧いただければと思いますが、明治が終わってまもなく、芸術においても西洋追従が顕著である現状を振り返り、再考しようとした本誌は文化史のなかで重要なのだと感じます。
その創刊号には『白樺』五周年記念号の広告が巻頭に。
新しい芸術や感性が大きく育つ中で、「東亜」の芸術を見つめ、忌憚なき議論を展開しようとしていた営みが芸術・学術の分野横断を試みていたことはとても興味深いです。
他に、やはり面白いのは巻末の「個人消息」ですね。
どのように近況を仕入れているのかわからないですが、漱石や鴎外はじめ、横山大観や内藤湖南など、毎号数十名の著名人の様子を短く報告しています。
大正期の文化が花開くその頃の、もう一つの試みをぜひお手元でご覧ください。