【鹿ヶ谷叢書005】
群衆論―近代文学が描く〈群れ〉と〈うごめき〉

 

「群衆と文学」という問いの可能性。「労働者であること」、「群れの力学」、「侵略の光景」、「匿名性をめぐる問い」、「寄せ場の群衆」。五つのテーマからの新たな問題提起。

 書籍概要

  • 著:石川巧 〈立教大学文学部教授〉
  • 定価:本体4,500円+税 ISBN978-4-910993-56-0
  • 体裁:A5判・並製カバー装・本文2段組・約420頁
  • 2024年9月刊行
  • 装画:香月泰男『点呼』(1971年)

 目次

目次

凡 例
                                                  
第1章 労働者であること
1―1 彼女の朝から別の朝へ―佐多稲子「キャラメル工場から」論
1―2 「あなた」への誘惑―葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」論
1―3 小林多喜二『蟹工船』における言葉の交通と非交通
コラム① 松田解子『地底の人々』(一九五三年)
 
第2章 群れの力学    
2―1 群衆とは何者か?―歴史小説における〈一揆〉の表象
2―2 横光利一『上海』の力学―〈場〉の運動
2―3 群衆はいかにして国民となるか――石川達三「蒼氓」
2―4 二つの日本合戦譚――菊池寛と松本清張
コラム② 石原吉郎「ある「共生」の経験から」(一九六九年)
 
第3章 侵略の光景
3―1 夢野久作が描いた〈東亜〉―「氷の涯」を中心に
3―2 石川達三「沈黙の島」を読む
3―3 侵略者は誰か―村上龍『半島を出よ』
コラム③ 上林暁「国民酒場」(未発表、一九四四年十一月頃の作)
 
第4章 匿名性をめぐる問い
4―1 〈正名〉のモラル―中野重治「歌のわかれ」論
4―2 ひとりひとりの死を弔うために―長谷川四郎「小さな礼拝堂」論
4―3 手紙のなかのヒロイズム―樺美智子・奥浩平・高野悦子
4―4 車椅子の〈性〉―田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」論
コラム④ 古井由吉「先導獣の話」(一九六八年)
 
第5章 寄せ場の群衆
5―1 〈闘争〉と〈運動〉の狭間で ―映画「山谷 やられたらやりかえせ」
5―2 一九六〇年代の雑誌メディアにおける〈釜ケ崎〉
コラム⑤   崎山多美「ガジマル樹の下に」(二○一三年)
あとがき
初出一覧
参考文献
主要人名索引

 著者プロフィール

石川巧(いしかわ・たくみ)

1963年、秋田県生まれ。1993年、立教大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。
山口大学専任講師、同助教授、九州大学助教授を経て、現在、立教大学文学部教授。
専門は日本近代文学、出版文化研究。
主な著書に『高度経済成長期の文学』(ひつじ書房、2012年)、『幻の雑誌が語る戦争 『月刊毎日』『国際女性』『新生活』『想苑』』(青土社、2018年)、『読む戯曲(レーゼ・ドラマ)の読み方――久保田万太郎の台詞・ト書き・間』(慶應義塾大学出版会、2022年)、『戦後出版文化史のなかのカストリ雑誌』(勉誠社、2024年)などがある。

 版元から一言

高度経済成長期の文学や久保田万太郎論、近代文学と「国語」の関係といったご研究に加え、アメリカ占領期、カストリ雑誌、ミステリなど、貴重な雑誌復刻の仕事も多く手掛けられる著者の石川巧先生は、琥珀書房にとって、仕事の面白さを教えてくださったような存在です。
すでにお仕事をされすぎて心配になるほどですが、そんな石川先生から、コロナ禍の終わりがみえはじめた頃、これまで書き溜めてきた論文を、少しずつ形にしたいとご相談がありました。
今回収録していない論文も膨大にあったのですが、その中から、もっとも形にしてみたいという「群衆」にテーマをおいた本を取り組ませていただくことになりました。

30年近く前に書かれた論考から直近のものまで、先生のキャリア全般を通しての論文を集めたものになります。
「労働者であること」、「群れの力学」、「侵略の光景」、「匿名性をめぐる問い」、「寄せ場の群衆」という五つの章立ての中で取り上げられるものは、有名な作家の作品から、知られざるものまで、いずれも興味ひかれるものかと思います。
本書のテーマに最も近いと思われる、戦後のある時期に集中して創作された<一揆>の登場する歴史小説を考察し、江馬修などを取り上げた2章の「群衆とは何者か?―歴史小説における<一揆>の表象」も、とても示唆に富む論考かと思います。
(江馬修『山の民』は作者渾身の作品だけあります。蛇足ですが江馬修には関東大震災と朝鮮人虐殺を描いた『羊の怒る時』が。『社会文学』(59号)にて江馬修と朝鮮人虐殺を論じた原佑介さまのご論文も、まさに「群衆論」でした。)
戦後の学生運動の中で若き命を失った樺美智子・奥浩平・高野悦子を論じた論考も、ぜひ読んでいただきたいと思います。
ただ、ここで一つ紹介するとすると、やはり印象に強く残る、第5章:寄せ場の群衆から、お伝えしたいと思います。

80年代に監督が刺殺されたにもかかわらずつくりあげられた映画「山谷 やられたらやりかえせ」は、年に数回行われる自主上映運動のみの公開となっているようで、ご覧になった方は限られているかと思います。
こういう私もまだ拝見していないのですが、全共闘運動から東アジア反日武装戦線の活動に共鳴し映画の道へすすみ、本作品上映前に凶刃に斃れた佐藤監督と、その作品を引き継ぎ、そして同じく凶刃に斃れた山岡監督(日本各地の寄せ場から、筑豊炭鉱、朝鮮人強制連行へと映画の後半を展開した)、そしてこの映画作品を上映運動としてつづける人たちの営みは、本書を通して、寄せ場という空間で「群衆」としてくくられる人々を考えるうえで、大きな問いになると感じております。
HPにも本映画作品の情報がありますので、ご関心のかたはぜひ、そちらから。

「群衆」といえばオルテガ・イ ガセットの『大衆の反逆』が浮かびましたが、皆様は如何でしょうか?
最近の朝日新聞(2024年5月28日)「好書好日」でも、ギュスターヴ・ル・ボン「群衆心理」が売れている本として、紹介されていました。
ル・ボンが描いたのは、「社会の古い支柱が交互に崩壊」した19世紀末。AIやSNS、増加し続ける難民など、現在も旧来の常識が通用しなくなった時代ということで、「群衆」に関心があつまっているのかもしれません。

こうした時期に、これからの研究にむけて、大きな問いを発するような本書を刊行できたことは、版元として喜ばしいことかと思います。
5つの描き下ろしコラムにて、実際の歴史事象にもとづいて「群衆」を検討いただいておりますが、本書が取り上げられなかった、「群衆」を問う作品や作家は、まだまだ数多存在することかと思います。

そして、最後になりますが、本書の初校段階から、編集にご協力いただきましたフリー編集者の石井真理さま(真文館)への感謝もここに記させていただきます。
石川先生とお仕事をされて15年という、石井さまによる阿吽のご協力がなければ、スムーズに刊行できることはなかったと思います。本当にありがとうございます。

2段組にして何とか1冊にまとめさせていただいた大著である本書が、多くの方に問をあたえることを願っております。