【鹿ヶ谷叢書007】
戦争の中の〈美心〉ー版画家田川憲「上海日記」・木刻小報『龍』を読み解く

「長崎の版画家」が戦中に上海で残した日記と作品の数々が初めて読み解かれる。悪化する時局の中で、日本と中国の「版画的文化交流」に尽力した足跡は、芸術家と戦争の関わりの多面性を如実に伝える。
30年にわたり上海と日本文化を追い続ける編者が詳細に読み解くその〈美心〉のゆくえとは。

1939年の暮れから、1942年9月まで記された断片的な日記(影印)に加え、1941年に田川憲が設立した「上海版画協会」などの活動報告誌であるとともに恩地孝四郎、金子光晴、内山完造なども寄稿した幻の個人誌『龍』など、戦争と芸術の関わりを伝える貴重な記録を、170ページを超える充実した解説と注釈を付して届ける。

 書籍概要

  • 編著:大橋毅彦〈関西学院大学文学部名誉教授〉
  • 著:田川憲
  • 協力:田川俊(田川憲アートギャラリー Soubi’56)
  • 定価:本体12,000円+税 ISBN978-4-910993-28-7
  • 体裁:A5判・上製カバー装・336頁
  • 推薦:福満葉子(長崎県美術館学芸専門監)
  • 2025年6月刊行

 目次

版画家田川憲・その〈美心〉のゆくえ―日中戦争下の「上海日記」を読み解く 大橋毅彦
はじめに―芸術と戦争
1田川憲と長崎
2上海という舞台
3「上海にて」(「上海日記」)の構成
4第二次上海事変後の上海
5色事師の街への嫌悪
6表南洋への憧れ(1)
7表南洋への憧れ(2)
8支えとなる長崎の人たち
9長崎南山手の「ロシヤ寺」
10高井家兄妹との交流
11長崎時代の相棒たちのその後
12本の中で出会った西洋の美術家たち
13ヘッセの青春小説に親しむ
14火野葦平と横光利一
15美の故郷をグウルモン詩に見出す
16時代の暗流との遭遇―耿嘉基という政治家
17楊樹浦の片隅で暮らす異国の人たち
18長崎でのロシア人とユダヤ人の記憶
19ロシア人タリアプコの荒い生き方
20『大陸新報』連載の「ルナール『葡萄畑の葡萄作り』より」
21『大陸往来』に掲載された作品
22個人版画誌『龍』
23上海版画協会の設立とそこに集った人たち
24興亜院華中連絡部とのつながり
25『興亜童謡かるた』の制作
26版画講習会々場となった上海青年館
27文化の戦争という側面
28魯迅と中国現代木刻
29田川憲の中国木刻批判(1)
30田川憲の中国木刻批判(2)
31田川の木刻作品「杭州紫来洞難民」
32〈難民〉を描くということ
33ちょん切られた首のある版画
34「江頭聞鶯」制作日誌と戦争の中の美
35〈美心〉の位相
36白い静物たち
37版画技法の向上をめざして
38「華中風物六景」の輪郭
39「弄巷夜景」に見られる紫のグラデーション
40「蘇州虎邱」から「長崎の庭(迎陽亭にて)」へ
41 戦(いくさ)に傾く心
42次なるステージへ

版画に念ずる心 田川俊

田川憲「上海日記」注釈 大橋毅彦

<資料編>
「上海日記」1939/12-1942/9 田川憲 ❋影印
個人版画誌『龍』1・2号 復刻版 ❋影印
あとがき 大橋毅彦

 推薦文

「長崎の版画家」の埋められるべき一ピース
2018年、筆者は勤務先の美術館で「田川憲展」を企画した。田川は戦前戦後の長崎で創作版画を牽引し、洋館や唐寺のある長崎の風景を題材に「異国情緒豊かな長崎」のイメージを長崎県の内外に発信した木版画家である。長崎では老舗菓子店のパッケージなどで誰もが作品を見たことがあるような存在だが、実のところ仕事の全体像はよくわかっていなかった。そこで令孫・田川俊氏をはじめとする方々から全面的なご協力をいただいて展覧会を開催し、その後の調査研究の基礎となるように経歴・画業を整理することに努めた。
 ただしその中でほぼ手つかずとなった部分があった。日中戦争からアジア・太平洋戦争にかけての時期、田川がのべ6年半ほどを暮らし、引き揚げ前後には多くの作品と版木を失った中国での動向だ。田川が上海で上海版画協会なるものを設立、日中二か国語表記の版画情報誌を出し、版画を通した日中文化交流を目指したことは創作版画研究の分野では知られていたが、それ以上のことは不明だったのである。そこへ解明の鍵となりそうな資料、すなわち田川が上海で綴った日記が現れた。展覧会準備のために田川俊氏から拝借した資料群に含まれていたのだ。
 とはいえ中国にも日中近現代史にも不案内な筆者にこの「上海日記」の分析はもとより困難である。いずれ専門家が調査してくれることを念じつつ、図録ではその存在について言及するにとどめた。その後、大橋氏がこれを調査され、ついに本書が刊行されることになった。これで田川の上海時代の解明が進むという喜びに加え、ミュージアムの展覧会の意義のひとつはさらなる調査研究の可能性を外部に開いてゆくことであると筆者は考えているため、学芸員として使命を果たせたという嬉しさと安堵も感じている。
 「上海日記」は、田川の同地での精神生活と社会生活、そして「田川と戦争」というこれまでの空白地帯に光を当て、また造形的探求のありようと制作過程を生々しく伝えるものでもある。本書は、田川の画業において欠けていたピースを埋めるものであると同時に、戦時下の外地における日本人木版画家の活動の記録としても貴重な資料となるだろう。そして「戦争と美術」というテーマを考える際に、挙げられるべき一冊にもなるだろう。
(福満葉子:長崎県美術館学芸専門監)

 著者プロフィール

田川憲(たがわ・けん)

戦前・戦後を通じて長崎で活躍した木版画家。戦時中、一時上海でも活動。
1906年長崎市生まれ。長崎商業学校に学んだ後、1927年に画家を志して上京し川端画学校等で学ぶ。木版画家・恩地孝四郎と出会い創作版画に開眼、1929年に洋画から木版画に転向。1933年に長崎に帰郷すると「詩と版画の会」を結成、創作版画誌『詩と版画』の刊行や版画講習会の開催なども行い、長崎における創作版画のパイオニアとなった。1935年に国画会展と日本版画協会展に初入選、1938年より従軍画家として中国に渡り、徐州作戦、漢口作戦に従軍する。1940年の一時帰国の後、1941年再び上海に渡る。日中バイリンガル版画個人誌『龍』の創刊、「上海版画協会」「上海版画研究所」設立に尽力。この年、日本版画協会会員となり、1942年には「日本版画協会展」の現地開催に関わり、さらに内山完造とともに「中国木刻作者協会」の創立に協力。敗戦後は五島(長崎)と山鹿(熊本)に滞在、金子光晴、ランボオの作品に向き合う。1949年に長崎に帰郷。以後は同地を拠点として生涯にわたり長崎の風景を描き続けた。1967年3月16日、心不全にて死去。享年60歳。長崎県美術館にて2018年に、田川の歿後50年を記念し、多彩な活動の全貌に迫る初の本格的な回顧展「長崎の美術6 田川憲」が開催された。

大橋毅彦(おおはし・たけひこ)

1955年東京都生まれ。1987年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。
共立女子第二中学高等学校教諭・甲南女子大学教授・関西学院大学教授を経て現在、関西学院大学名誉教授。博士(文学)。
著書に、『室生犀星への/からの地平』(若草書房、2000年)、『上海1944-1945 武田泰淳『上海の螢』注釈』(共編、双文社出版、2008年)、『アジア遊学183 上海租界の劇場文化―混淆・雑居する多言語空間』(共編、勉誠出版、2015年)、『D・L・ブロッホをめぐる旅―亡命ユダヤ人美術家と戦争の時代』(春陽堂書店、2021年)、『神戸文芸文化の航路―画と文から辿る港街のひろがり―』(琥珀書房、2024年)ほか。
『昭和文学の上海体験』(勉誠出版、2017年)にて第26回やまなし文学賞(研究・評論部門)受賞。

田川俊(たがわ・たかし)

1970年長崎市生まれ。生まれた当時祖父田川憲はすでに他界。直接の思い出はないが幼少期よりその版画作品に親しむ。2018年1月に田川憲の作品を展示する「田川憲アートギャラリーSoubi’56」を開設。二ヶ月ごとに一点の作品とそれに関する手記、スケッチなどの資料とともに展示。金・土・日のみオープンし、作品の説明を行っている。
主な活動として、ギャラリーの運営、作品や手記など残された資料の整理・検証。グラバー園・旧香港上海銀行・東明山興福寺、市内のホテルやカフェなど、版画作品にちなんだ場所やイベントでも講話を行っている。

 版元から一言

鹿ヶ谷叢書3つ目の「日記」企画になります。
2022年の2月にこの企画に着手してから、3年半を経て無事刊行することが出来ました!
2022年4月に長崎出島の「田川憲アートギャラリーSoubi’56」を訪問し、田川憲の作品を生で鑑賞し、日記や様々な資料を見せていただいたのが、随分前のことのように感じます。

長崎滞在の中で、「ママン・ガトー」のお菓子のパッケージや、ホテルニュータンダの「長崎居留地ビーフカレー」の外箱に刻まれるその作品を通して、長崎において田川憲が如何に特別な存在であるかを感じたことが思い出されます。
長崎の人なら知っている、という田川憲ですが、戦争中に上海で活動していたことについては、それほど知られていないのではないでしょうか。
しかしその活動こそ、戦争の時代という、敵・味方となった自他の文化が激しく争われた時代の、一つの貴重な証言とも言えるものなのです。

企画開始の2022年、大きな話題となった町田市立国際版画美術館開催の「彫刻刀が刻む戦後日本」展では、魯迅が中心となり推進した中国の創作版画「木刻運動」と戦後日本の版画芸術のつながりがフォーカスされていました。(こちらの美術手帖に同展覧会の記事がありました。)
戦争中の田川憲が残した日記や資料には、その「木刻運動」を貫いていたものとは異なる版画観に基づいた活動に注力していた様子が記されているのです!

確かに田川憲が公的な場で発した言葉には、政治や国家の影響が及んでいます。
ただ、多くの読書記録や芸術論が綴られ、制作日誌の一面もあるその日記からは、版画作品の何が美を生み出すのか、という問題を自身に問い続ける、愚直なまでの<美心>を備えた芸術家の姿がうかびます。

上海を長くフィールドにおかれてきた大橋毅彦先生による充実した解説と注釈によって、これまで埋もれてきた戦中の文化のあり方が浮かびあがる、すばらしい一冊が生まれたと思います。
大橋先生とは琥珀書房として2冊めの仕事になりますが、ご退官後も研究を楽しまれる先生の姿に刺激をいただいてばかりです。

資料の提供・掲載はもちろん、田川憲についての素晴らしい文章まで頂戴いただいた田川俊さんにも、心からの感謝を。

本書には、巻頭カラー口絵として、町田市立国際版画美術館等に残された「華中風物六景」など、貴重な中国時代の版画作品等も収録しております。
戦争という時代に、田川憲が追い求めた<美>を伝えるその作品にも、ぜひ触れていただければ幸いです。

また、他の田川憲作品にご関心の方には、「田川憲アートギャラリーSoubi’56」で発行されておられます、『田川憲アートカレンダー』を心からおすすめいたします。
田川の心に残った、戦前の「良き長崎」を伝える作品の数々が、飾りやすいサイズで楽しめます。

そして、いうまでもないことですが、最も作品の魅力に触れる場としては、長崎出島「田川憲アートギャラリーSoubi’56」にて生の作品を鑑賞されるのが一番でございます。
(❋残念ながら、「田川憲アートギャラリーSoubi’56」が入っているビルは2026年3月に閉鎖となるそうです。その後のご活動は未定とのことですので、ご関心の方はぜひお早めに!)

ぜひ本書を通じて、戦争と美術という大きなテーマに触れていただくとともに、長崎の海のように広がる田川憲の多くの版画作品についても親しんでいただければ幸いです。
(話題の『すごい長崎』(下妻みどり、新潮社、2025)でも、田川憲が出てきます。ぜひ同書も読まれて、長崎を楽しまれるのは如何でしょうか?)