【復刻版】『泉の花』

全国の「女工」を中心に広く読まれた女性向け修養雑誌から浮かび上がるもう一つの近代日本の精神史

昭和日本の「社会教化」を旨として社会教育、修養運動において大きな足跡を残した後藤静香(1884-1969)の希望社。
多くの定期刊行物を直接販売したその活動は、中高等教育の機会をもてえなかった戦前の膨大な社会層に向け、共同で読書をする場を作り、多大な影響力をもった。

最盛期には百万部を誇った、多種にわたる希望社の定期刊行物の中でも、最も多くの部数を誇った『泉の花』。
(製糸女工に対する読書調査では、『キング』の部数すら上回っていた記録が残る。)

大規模機械工場による紡績業が飛躍的に発達した大正末から昭和、閉鎖的な現場での労働に従事するしかなかった女性労働者たちの支えとなった本誌は、空白となっているノンエリート層の精神の営みを伝える。

社会福祉史・社会教育史・文化史・女性史・地域史など、多様な学術領域にて活用される資料群がここに!

*希望社全盛期の事業内容の全貌を伝える『希望社大観』をこちらでアップしております。

 書籍概要

『泉の花』復刻版 1924年〜1930年 
発行:希望社

  • 解題: 大澤絢子(東北大学)
  • 推薦:平田勝政(長崎大学)
  • 揃定価: 本体96,000円+税
  • ISBNセットコード:978-4-911589-29-8(第1回配本セットコード)
  • 体裁: B6判・並製、全7冊+別冊、総約2,750頁
     (別冊にて、解題・総目次を付す)
  • 原本・特別協力:後藤静香記念館

 配本表

第一回配本第二回配本
内容全3冊
第1巻~第3巻
全4冊
第4巻〜第7巻
刊行時期2025年11月刊行2026年9月刊行
価格本体48,000円+税本体48,000円+税
ISBN978-4-911589-29-8978-4-911589-30-4

 刊行のことば

 急速な近代化が進む日本において、国策の柱の一つを担った織物・製糸・紡績などの繊維産業に従事したのが、「女工」と呼ばれる女性労働者たちである。
 『泉の花』は、大規模機械工場による紡績業が本格的に主流化・活性化する大正末から昭和の初めにかけて、全国の女工に広く読まれた修養雑誌だ。戦前期の日本で圧倒的な発行部数を誇った『キング』に次ぐ購読者数を誇り、同誌を凌ぐほどの読者がいた地域もあったとされる。「ノートブックより安い」を売り文句に、教育機会に恵まれない女工を中心に、自分を磨き、高めることの大切さを説いた『泉の花』は、閉鎖的な工場で日夜働く彼女たちの心の支えとなった。雑誌を通して他の工場の女工と繋がれることは、ささやかな癒しにもなったろう。一方で『泉の花』には、資本家の下で働く労働者の精神教化との役割もあった。
 出版元の希望社は、『希望』『のぞみ』『光と聲』など多くの雑誌を手掛け、社長の後藤静香が原稿のほとんどを執筆している。全国に張り巡らされた読者網を駆使して雑誌を販売し、印刷・製本・配本などは全て自社の経営する印刷学校の生徒が行った。後藤の独特な経営手法には批判もあったが、希望社の刊行物は男女のノン・エリート層を中心に多数の読者を獲得。視覚障がい者のための点字
雑誌の刊行、ハンセン病救済事業、ローマ字、発音式かなづかい、エスペラントの普及にも力を入れ、これらの活動は希望社運動と呼ばれた。
 これまで、希望社の出版物は入手が難しく、運動の全体像を把握することは容易でなかった。それは希望社が独自の販売路線を取ったことと、読者が雑誌を私信のように読み、大切に保管してきたため所蔵機関が限られることによる。事業拡大による財政難へ後藤のスキャンダルが重なり運動が急速に衰退したことも、その一因である。
 今回の『希望社時報』『希望の日本』『泉の花』の復刊は、社会教育史・メディア史・ジェンダー史はもとより、近代日本の日本精神史の空白を埋める契機となるだろう。今回の復刊によって近代資本主義の歪みと社会改良の夢の軌跡が浮かび上がるはずである。

大澤絢子(東北大学大学院国際文化研究科GSICSフェロー)

 後藤静香について

後藤静香(1884―1969)
1884年(明治17年)8月19日、大分県大野町生まれ。1906年(明治39年)東京高等師範学校官費数学専修科を卒業後、長崎県立高等女学校と香川県女子師範学校に13年間にわたり勤務。1918年(大正7年)教職を辞して上京、蓮沼門三が設立した「修養団」の幹事となる。また同年自身で設立した「希望社」より、「若き婦人に対する修養本位の雑誌」として『希望』を刊行開始。「社会教育家であり、同時に事業家」として、各種慰問・顕彰活動や学校経営を行った他、高等教育への進学がかなわなかった男女若者層へ『のぞみ』、工場や農村で働く若い女性向けに『泉の花』、視覚障害者向けの点字雑誌『かがやき』など、多くの月刊誌を刊行。読書会を通じてその発行を広め、1930年(昭和5年)には希望社の発行雑誌は100万部を越えた。1933年(昭和8年)に希望社は解散。その後も著述活動、社会事業を続け、社会運動団体「心の家」を中心に、日本点字図書館や社会福祉法人「新生会」として、現在に続いている。1969年(昭和44年)5月15日没。点訳奉仕運動最初の提唱者として、多くの点訳者を育成したその功績に対し、1967年(昭和42年)7月27日日本盲人社会福祉施設協議会から感謝状が贈呈された。

 版元から一言