1970年より34年間、一貫して文楽の「制作」を担った著者による唯一無二の論考と記録。
日本の演劇に関する仕事の一つ、「制作」。
文楽や歌舞伎といった伝統演劇におけるその業務は広範にわたり、公演の企画立案・進行・実施を主とし、さらに宣伝・観客動員までにも関わる。
外部から容易にはアクセスできない文楽の世界で、制作業務の中からとらえられた様々な事実と考察。
20世紀から21世紀へ、激烈な社会の変化に総力を挙げて対応し続けた、文楽界内部の記録。
「伝統」とは同じことの繰り返しではなく、日々の「再創造」の積み重ね―その内実。
制作ならではの視点から明らかにされる、文楽の歴史的展開。
1930年前後生まれのかつての伝統的な対面稽古経験者からの、貴重な聞き取り調査の記録。
聞き取り対象:8代豊竹嶋太夫(1932-2020:人間国宝)/5代竹本伊達太夫(1928-2008)/9代竹本源太夫(1932-2015:人間国宝)/豊竹十九太夫(1931年生)/7代鶴澤寛治(1928-2018:人間国宝)/11代豊竹若太夫(1947年生)/吉田文雀(1928-2016:人間国宝)。
現在、そして未来における文楽及び伝統芸能のあり方を知り、考える上で欠かせない一書。
書籍概要
- 著:後藤静夫
- 編集協力:細田明宏(帝京大学)
- 予価:本体6,300円+税 ISBN978-4-911589-31-1
- 体裁:A5判・上製カバー帯装・約420頁
- 装幀:野田和浩
- 2026年3月刊行
目次
序章
第一部 人形浄瑠璃の現在地
第一章 文楽の現状と展望ー制作の側から
第二章 文楽における首(かしら)の造形と表現ー試論
第三章 地方人形座の継承と活性化ー香川県・讃岐源之丞座を例に
第二部 現代における伝承ー演者への聞き取り調査から
第四章 文楽の義太夫節における稽古と伝承
第五章 演奏の時間、伝承の時間ー義太夫節演者の時間感覚
第六章 文楽における隠語の現在
第三部 舞台芸術としての成熟と展開ー制作者の視座から
第七章 『平家女護島』鬼界が島の近世的性格ー近松門左衛門の人と作品
第八章 人形浄瑠璃における屋台の成立
第九章 『壺坂霊験記』の成立と演出―活人形(いきにんぎょう)の影響について
第十章 四ツ橋文楽座の開場ー松竹による近代的経営の実現と演者対策
第四部 文楽の技芸員に聞く
A 義太夫節の伝承および稽古
八代豊竹嶋太夫/五代竹本伊達太夫/九代竹本源太夫/豊竹十九太夫/七代鶴澤寛治/十一代豊竹若太夫
B 人形の役作りと首かしら割り
吉田文雀
人名録
終章・参考文献・あとがき・索引
著者プロフィール
後藤静夫(ごとう しずお)
1946年静岡県生まれ。京都大学文学部史学科卒業。
1970年より財団法人文楽協会に制作として勤務。
その後も一貫して制作として国立劇場,文楽劇場に勤務。
2004年より京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授。
2014年京都市立芸術大学名誉教授。2023年大阪市市民表彰。
版元から一言
まずは何より、人生の仕事として文楽の「制作」に一生を捧げられた著者の集大成に関われたことを版元として誇らしく思います。
いわゆる「プロデューサー」のような役目である「制作」。
現在の運営主体である、独立行政法人日本芸術文化振興会では、「制作」職については、持ち回りになってしまったそうで、後藤先生のように、一人で長年にわたり「制作」に従事される方はもう存在しないそうです。
そして後藤先生が現場におられた34年間は、運営において激変をともなった時代でもありました。
その証言者という意味でも、本当に貴重な、唯一無二といってよい本になっているかと思います。
後藤先生のお仕事は、大阪大学総合学術博物で2021年に開催された『乙女文楽 ー開花から現在までー』を拝見したのが初めてでした。
そして、本書の編集協力者としてご協力ご尽力をいただいた帝京大学の細田明宏先生とのご縁から、本書が生まれました。
地方の人形座の再生などにも関わられた後藤先生の論考などが、多くの関係者の方に示唆を与えるものであることを願っております。
また、多くの人間国宝を含む、貴重な聞き取りの記録などが、人形浄瑠璃に関心を持つ方に新たな知見をあたえるものであることを願っております。
版元として決して伝統芸能に造詣が深いわけではないのでですが、わからないままに人形浄瑠璃を初めて観た時の驚きは、忘れられません。
太夫や三味線の音に導かれながら、生身の人間よりも、人形の動きや表情に心動かされてしまう。
このような経験は、人形浄瑠璃を観たことのある方なら、わかってくださるかと思います。
下記に抜粋をしますが、学生運動でもりあがる時代においての後藤先生と文楽の出会いとも通ずるものかと思っております。
人形浄瑠璃を愛する皆様、これから観る未来の鑑賞者の方へ、本書が届くことを願っております。
<本書「あとがき」より抜粋>
学生時代、先輩に誘われて生まれて初めて「文楽」なるものを鑑賞した。演目も覚えているし、演技や演奏も部分的には記憶している。だがそれよりも、「なぜこのようなものが、現在まで生き残り、活動を継続できているのだろうか?」という、強い疑問が観劇後の頭を占めたことのほうをよく覚えている。文楽では太夫・三味線弾き・人形遣い三人の五人の演者がいなければ、一人の人物が演技をすることすらできない。効率とは何とも縁遠い世界であり、観劇後の私の疑問もそこにあった。
しかしこの一種奇妙な、ある意味現代離れをした舞台芸能は、不思議な魅力があり、私に感動をもたらした。単語や文章は部分的にしか理解できなかったのに、太夫のリアルな感情表現はストレートに胸に響いたし、三味線の重厚な音はそれまでに聞いたことのない、ある種のさわやかさを感じさせた。そして人形の精妙な動きがまた観る者を惹きつける。
義太夫節に描かれる事件や人物は、古い時代のものなのに、太夫の語りと三味線の演奏によって生き生きと描かれるので、違和感なく受け入れることができる。そしてそこで語られる物語に、現代のわれわれ自身とわれわれを取り巻く状況を重ね、時代を超えた普遍性を見ることになるのである。木や布で形作られた人形は、時として生身の人間ではありえない姿形をとり、動作をする。だがそれは、義太夫節の適度な誇張を伴った演奏とあいまって、かえって人間の感情表現や動作の本質を見事に描き出すのである。そして観る者は人形に生身の人間以上の心情を感じるのである。文楽は、時代を越えて現代に語りかける表現方法を持っているといってよい。

