【復刻版】ぼくたちの未来のために

 

1950年代、東京大学、「わだつみ」世代への応答
「ぼくたち」の未来を模索した、若き詩人たちの「声」

1950年代、新制東大教養学部の学生を中心に刊行された詩誌。創刊マニフェストにおいて「人間を守る」ことを掲げた本誌は、50年代の激変する社会を題材にした作品や、海外詩人の作品翻訳を通して、戦後に生きることの意義や価値を模索した。『ぼくたちの未来のために』というタイトルは、英国戦没学徒による詩集『For your tomorrow』への応答とされる。
占領解除間もないころ、新時代の学生たちの志と思いをもって創刊された本誌は、悲惨な経験が忘れられた現代にこそ、多くのことを問いかける。

 書籍概要

『ぼくたちの未来のために』復刻版 1950年6月〜1958年1月 全36号
(前誌:『ETWAS』2,3号、『詩のつどい』1-4号を含む)
発行:明日の会、他

  • 解説: 田口麻奈(明治大学准教授)
  • 推薦: 井上健(東京大学名誉教授)、川本隆史(東京大学名誉教授)
  • 揃定価: 本体78,000円+税
  • ISBNセットコード:978-4-910723-42-6
  • 体裁: B6・A5判並製、全36冊+別冊、総約1,000頁
     (別冊にて、解題・総目次・執筆者索引を付す)
  • 原本: 明治大学所蔵分、日本現代詩歌文学館、神奈川近代文学館、国立映画アーカイブ、個人所蔵分

推薦文より

のちにシェイクスピアを全訳する小田島雄志、ミショーの訳業で名高い小海永二などを輩出したこの誌はまた、同時代外国詩人の作品を幅広く翻訳紹介した点でも注目に値しよう。その訳業の特質としては、小海訳ロルカなど、英米仏の既成の枠を超えてその射程が国際的に開かれていたこと、斎藤忠利訳ラングストン・ヒューズや小海訳のフランス黒人の詩のように、マイノリティの文学がしかとその視野に収められていたこと、などがあげられる。花崎皋平、山本恒そして小海、小田島など、同人たちの「その後」の活動と達成への予感も含めて、『ぼくたちの未来のために』はまさに、一九六〇年代の文学を様々に先取りした同人誌であった。戦後詩研究、比較文学研究、翻訳研究のための、まぎれもない第一級の資料である。
― 井上健(東京大学名誉教授)

委曲を尽くした解説を付す今回の復刻版が、戦後詩や戦後サークル運動史の研究に多大な貢献をなすのは間違いあるまい。さらにこの労作が―専門家相手の史料提供にとどまることなく―一九五〇年代の若きポエットたちの初々しい《表現=肉声》の「磁場」に触れた一般読者を鼓舞して、自分たちなりの詩作・思索を促していくことを望んでやまない。
― 川本隆史(東京大学名誉教授)

 主要執筆者

池田守/石川巌/入沢康夫/岩成達也/宇佐美誠一/小田島雄志/金子嗣郎/亀井俊介/川口澄子/木原孝一/粂川光樹/小海永二/斎藤忠利/嵯峨信之/島良夫/西川正雄/花崎皋平/松川八洲雄/村上義人/山本恒/吉川常子

 翻訳された海外詩

イーディス・シットウェル/シドニー・キーズ/ラングストン・ヒューズ/アンリ・ミショー/ジャック・プレヴェール/ジャン・ケロール/フェデリコ・ガルシア・ロルカ/ナーズム・ヒクメット/シュテファン・ヘルムリン/パブロ・ネルーダ/エセル・ローゼンバーグなど

 版元から一言

表題からして印象的な本誌。そのタイトルは大戦で亡くなった英国戦没学徒(パブリックスクール)のアンソロジー『For Your Tomorrow』からとられているということもあり、お話を聞いたときから、興味をひかれました。

1930年代前後生まれの若者たち。それは現代で言うところの高校生入学前後に敗戦に直面し、占領期の全く新しい教育制度下で未来を考えた世代であり、20代を冷戦の幕開けの中生きた世代。戦争による肉親や知人の喪失を我が事として経験し、恐らく最も切実に、過去の日本がたどった誤った歩みを繰り返さない道を模索した世代であったのではないかと想像します。(このことについて、最近幸運にもご存命の方のお話を聞くことができ、実際の友人の死が、彼等の戦後の生き方の原点である事をあらためて強く感じました。)
彼らの関心は「新しい世界」を切り拓いていくかに見えた社会主義と、権力や抑圧に抗した世界中の詩人たちの言葉へ向いているように感じました。

例えば『ぼくたちの未来のために』3号はL・ヒューズやフランス黒人詩人について特集をしています。そこには、有名な詩なのかと思いますが、印象に残るダヴィッド・ジョップの短詩が紹介されています。
(ダヴィッド・ジョップについては、2019年に夜光社さんから中村隆之さんの翻訳がでているようです。)

お前は涙を流すお前を我と我から慣らしてしまう
何の理由もわからずに ある日死んで行くお前
もはや目の中に微笑みもて物を見つめることのないお前
お前 恐怖と苦悩の顔色を持つ私の兄弟よ
起ち上れ そして叫べ 嫌だ!(ノン!)と
(「権力への挑戦」ダヴィッド・ジョップ 小海永二訳)

Toi qui plies, toi qui pleures
Toi qui meurs un jour sans savoir pourquoi
Toi qui luttes, qui veille sur le repos de l’autre
Toi qui ne regardes plus avec le rire dans les yeux
Toi mon frère au visage de peur et d’angoisse
Relève-toi et crie: NON
(“Defi a la force” David Diop)

このような、理不尽に殺されたものへの思いに満ちた詩心を明確に意識した世代は、2022年においてはもうほとんど亡くなってしまっているでしょう。
“For your tomorrow”と呼びかけた(であろう)世代も、呼びかけられた世代も失った現代。70年前と状況や環境は大きく変化し、「うまく生きること」ばかりを求められるような社会のなかで、自分の言葉をもつ営みは今こそ求められているような気がしております。

『ぼくたちの未来のために』とともに1950年代を生きた若者は、1960年代においてそれぞれの領域で新しい道を切り拓きますが、詳細はぜひ田口先生の素晴らしい解説でお読み頂ければ幸いです。
朝鮮戦争、ビキニ事件、砂川事件という現実と直面しながら、自分たちの言葉を追い求めた営為を伝えるこの小さな冊子が、今を生きる「ぼくたち」の「未来のために」も響き続けていることを願っております。

こうして書いてみると、本書は随分と生真面目でシリアスでとっつきにくいように感じるかもしれません。本書に限らず、1950年代前半の学生の文献や資料を見ていても、運動の緊張感の維持の難しさを感じさせる言葉は散見されます。
そうした言葉に出会うと、逆に新鮮さを覚えるのは私だけでしょうか?
少し長くなりますが、当時の若者が現代のわれわれとそれほど遠くないようにも感じるおおらかな作品の抜粋を最後に、随分と長くなってしまった「一言」を終えます。

「僕達の未来の為に」丹下一郎

”僕達の未来の為に”
こんな堅苦しい看板を掲げた会の
同人になつたお蔭で
滅多に”僕達”なんていう複数意識を有つた事のない男は
それでも有ち合わせた良心の
ありつたけをはたく積りで
やれ”原爆詩集”とか
やれ”抵抗詩集”とか
やれ”戦争映画”とか
みたり、よんだり、試したり

(中略)

人間(ヒト)の歴史を何度も振返れば
善いにつけ、悪いにつけ
美しいにしろ、醜いにしろ
余りに多くの繰り返しに
少し記憶のよい者なら
うんざり顔を背向けたくなる
そんな時、笑うだけでは
深刻がるのと大差はないが
ふしぎに”よしもう一度”
という気持ちになれるものだ

そして
”僕達の”とか”未来の為に”とか言い乍ら
何だか肩を叩き合いたくなつてくるのだ
というと
何だかこそばゆいのも確かだが
(『ぼくたちの未来のために』2号)