戦時下通算千回を越す演説を重ねた軍人と銃後の関わり、また敗戦後の思想とくらしを伝える稀有な記録
太平洋戦争末期から戦後まもない時期にかけて残された陸軍少将岡原寛(ゆたか)の日記には、大本営発表に一喜一憂し、大阪大空襲を民衆覚醒の契機ととらえ、八月一五日の悲憤や、戦後「国体護持」への思いが吐露されるなど、国民の指導者たらんとした高級軍人の認識と暮らしぶりが克明に刻まれる。 軍需工場や農村の若者を「感激の渦中」に没入させた講演速記録を日記とともに収録する本書は、講演によって銃後をささえた軍人の歩みと思想から、極限の時代を再照射する。
有志による十年におよぶ研究会の中でひろわれた日記内の人名は400名にのぼる。関西から広く西日本の銃後を支えたネットワークとその実相を浮かび上がらせる。
※電子版(kinoDen、MeL)も、同時刊行します。(電子版ISBN:978-4-910993-24-9)
琥珀書房YouTubeチャンネルにて、本書収録の岡原寛講演速記録を、富山直人氏(オペラシアターこんにゃく座歌役者)による朗読で再現した音声動画を公開中。銃後の人々を感激させた講演の記録が現代に蘇ります。
書籍概要
『陸軍少将岡原寛 戦中・戦後日記―演説の名手が生きた銃後と戦後―』
- 著: 岡原寛
- 監修:小田康徳
- 解説:加来良行・横山篤夫・川口真吾・石原佳子・今西聡子(掲載順)
- 協力:ピースおおさか、冨井恭二、岡原進(岡原寛 七男)、岡原真弓(岡原寛 孫、歌役者)
- 定価: 本体5,400円+税
- ISBN:978-4-910993-20-1
- 体裁: A5判上製、約320頁
- 2023年8月刊行
目次
はじめに 小田康徳
岡原寛日記(1944-1946)
事柄注記
解説 陸軍少将岡原寛とその日記 加来良行
岡原日記を読む
金鵄勲章と岡原寛少将 横山篤夫
陸軍少将とはどういう位置にいた人か。岡原少将はその中でどこにいたか。 横山篤夫
関西方面の航空機産業の盛衰について 川口真吾
戦時家庭教育と母親学級 石原佳子
学徒勤労動員の現実 石原佳子
戦争末期の工場労働 石原佳子
家父長としての岡原少将 今西聡子
岡原寛講演速記録 1937(昭和12)年11月26日
講演速記録にみる岡原寛の講演術と思想 小田康徳
あとがき 小田康徳
(巻末資料)
『岡原寛日記』講演一覧
人名注記(約400名)
著者プロフィール
岡原寛(おかはら ゆたか)
1880 年、愛媛県南宇和郡平城村に生まれる。三歳の時、父の死去にともない家督を相続。愛媛県立松山中学校卒業。進路については授業料のかからない師範学校か士官学校で迷ったが、結局軍人の道を選び1901年に士官学校入学。日露戦争での奉天会戦で負傷し、軍功を認められて功四級金鵄勲を受勲。第31 旅団副士官として釜山に。その後、いくつかの勤務地を経て、1923 年中佐。1925 年より、広島高等師範学校に配属士官として勤務。時に浄瑠璃の名文句も入れたユーモアに富んだ軍事学の授業と情け深い人柄で慕われたという。第五〇聯隊の聯隊長として、第一次上海事変に出動、すぐに満洲に転戦する。反満抗日に転じた馬占山(元満洲国軍政部長)の追跡・掃討戦を指揮。日露戦争と満洲での戦争において、国民の注目を集めた大きな舞台で活躍した。1933 年に少将。翌1934年に予備役。翌1935 年、現在の大阪豊中に転居。昭和10 年代より、千回を越える数々の講演を行ったとされる。1942 年より大阪府翼賛壮年団副団長。1947年死去。
小田康徳(おだ やすのり)
1946年生まれ。大阪電気通信大学名誉教授。NPO法人旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会理事長。
近著に『明治の新聞にみる北摂の歴史』(神戸新聞総合出版センター、2021年)、『軍隊と戦争の記憶 旧大阪真田山陸軍墓地、保存への道』(阿吽社、2022年)などがある。
加来良行(かく よしゆき)
1955年生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科国史学専攻後期博士課程中退。現在、大阪公立大学非常勤講師。専攻は日本近現代史。
共著に広川禎秀編『近代大阪の行政・社会・経済』(青木書店、1998年)、広川禎秀編『近代大阪の地域と社会変動』(部落問題研究所、2009年)などがある。
横山篤夫(よこやま あつお)
1941年生まれ。東京教育大学文学部史学科日本史専攻卒業。専攻は日本近現代史。
著書に『戦時下の社会』(岩田書院、2001年)、『「英霊」の行方』(阿吽社、2023年)、『銃後の戦後』(阿吽社、2023年)、共著に『歴史を社会に活かす』(東京大学出版会、2017年)などがある。
川口真吾(かわぐち しんご)
1981年生まれ。大阪教育大学教育学部卒業。現在、東大阪市立孔舎衙小学校教諭。
石原 佳子(いしはら よしこ、植木)
1954年生まれ。大阪市立大学文学研究科国史学前期博士課程修了。現在は神戸親和大学非常勤講師、元大阪市史料調査会主任調査員。専攻は地域史研究。
共著に「学童疎開」(『新修大阪市史』7、1994年)、「大阪の学徒動員」(大阪国際平和研究所紀要『戦争と平和‘08』、2008年)、「人と地域の物語」(地方史研究協議会編『地方史はおもしろい05-大阪の歴史』、文学通信、2022年)などがある。
今西聡子(いまにし さとこ)
神戸女学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。元大阪市立大学非常勤講師。専攻は近世近代史。
業績に「日本陸軍の軍事医療―病院・療養所」『地域のなかの軍隊』第8巻(吉川弘文館、2015年)、『旧真田山陸軍墓地、墓標との対話』(阿吽社、2019年、共編著)などがある。
版元から一言
タイトルが示す通り、演説の名手として銃後を鼓舞しつづけた、日露戦争の英雄であり陸軍少将であった岡原寛の残された日記を刊行いたします。研究会の皆さまが、容易には読むことが出来ない独特の字を10年近い月日をかけて翻刻された営為がつまっている本になります。そして、残された日記は幸運にも1946年のものも含まれており、敗戦後の現実に直面する軍人の心境を伝えてくれます。
敗戦直前の8月8日、自身の誕生日でもあるその日には、「聖戦完遂を祈願し、小供等の武運長久を祈り、我れハ神助により益々健全ニ国民の戦意昂揚に努力し、敵撃滅の為め最後まで努力邁進、奮闘せん事を誓ふ。」とあります。1944年からの日記、そして、本書に収録された1937年の講演をお読みいただければ、これらのことは嘘偽らざる本人の心境だったことを感じていただけると思います。
そして翌日、10日の日記には「広島の状況並ニ尼崎昨夜の状況を聞きたり。広島は差支なき模様なり。尼崎不明、無事を祈る。」と、原爆投下4日後の関西にいた高級将校の、現実とはかけはなれた状況認識がうかがわれます。
大日本帝国の軍隊のインテリジェンスの不足と、その精神主義については過去に数え切れないほど指摘されてきたことですが、そうした認識を新資料とともに更新する仕事にたずさわることができ、研究会の皆様に感謝する次第です。
岡原寛の講演は、人々を熱狂に巻き込む、すさまじい熱量であったと伝え聞いております。
速記者が記録した講演録には、「万場拍手」、「(此の時分、万場寂として声する者なし、緊張の極なり」、「哄笑」といったいくつもの講演の空気を伝える言葉が記されています。
そして、そうした国民を鼓舞するような言葉は、決して過去の事象ではないはずです。
東欧での戦争を目の当たりにし、「正しい情報」というものの求めがたさを痛感するこの時代にこそ、「聖戦完遂」を唱え続けた一軍人が戦争の時代とどう向き合ったか、ということから導き出せるものがたくさんあると信じております。