【鹿ヶ谷叢書004】
神戸文芸文化の航路―画と文から辿る港街のひろがり―

 

大正から昭和にかけて、”港街神戸”が育んだ多彩な文化。
有名無名の詩人に、ギャラリー文化、プロレタリア芸術、陳舜臣そして小田実。開かれた航路がもたらした文化空間のひろがりを本書は伝える。

 書籍概要

  • 著:大橋毅彦 〈関西学院大学文学部教授〉
  • 定価:本体2,800円+税 ISBN978-4-910993-54-6
  • 体裁:A5判・並製カバー装・288頁
  • 2024年3月刊行

 目次

はじめに―鉱脈の発掘と水域の拡張
一章 一九二〇年代の関西学院文学的環境の眺望
二章 竹中郁の詩の才気
三章 〈貧民窟〉出身の詩人・井上増吉の文学活動とその周辺
四章  〈こわれた〉街・〈騙り〉の街への遠近法―神戸発・昭和詩始動期の詩人たちの仕事―
五章  神戸モダニズム空間の〈奥行き・広がり・死角〉をめぐる若干の考察―補助資料『ユーモラス・コーベ』『ユーモラス・ガロー』掲載記事題目一覧―
六章 一九五〇年の二つの文化的イベントから展望する芸術家たちの協同
七章 陳舜臣が描き出す〝落地生根〟の行方 ―推理小説『枯草の根』を起点として―
八章  〈共生〉と〈連帯〉に向けての小田実からの問いかけ―「冷え物」から「河」そして「終らない旅」まで―
九章 剣呑さを生きる小説 ―小田実「河」における歴史・土地・人間・言葉
あとがきに代えての雑信
主要人物索引

 著者プロフィール

大橋毅彦(おおはし・たけひこ)

1955年東京都生まれ。1987年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。
共立女子第二中学高等学校教諭・甲南女子大学教授などを経て、現在、関西学院大学文学部教授。博士(文学)。
著書に、『室生犀星への/からの地平』(若草書房、2000年)、『上海1944-1945 武田泰淳『上海の螢』注釈』(編、双文社出版、2008年)、『アジア遊学183 上海租界の劇場文化―混淆・雑居する多言語空間』(編、勉誠出版、2015年)、『D・L・ブロッホをめぐる旅―亡命ユダヤ人美術家と戦争の時代』(春陽堂書店、2021年)ほか。
『昭和文学の上海体験』(勉誠出版、2017年)にて第26回やまなし文学賞(研究・評論部門)受賞。

 版元から一言

東京のご出身である著者が、人生の半分を過ごすこととなった神戸にて積み重ねた、神戸文芸文化研究をまとめた単著になります。
大橋先生(HPでもいつもと同じように呼称させていただきます。)といえば、大著『昭和文学の上海体験』(勉誠出版)が浮かぶ人は多いのではないかと思います。
そうしたご期待を裏切らず、本書のキーワードとも言えるのは、上海や欧州とつながる、近代神戸がもつ「ひろがり」です。
関西学院大学を一つの足がかりとしながら、俯瞰的な文化状況を論じるものと、個々の詩や作品を同時代の文化状況を重ね読み解いたものなど全9章が並びます、
対象となる領域は広く、様々な装丁や、1930年から戦中にかけて神戸の文化をおしひろげた鯉川筋画廊、1950年に神戸で行われたグランド・バレエ“アメリカ”/中国現代版画展覧会についてなど、通読いただくことで神戸の文化空間の豊かさを実感いただけることかと存じます。
(その中には、忘れられたプロレタリア詩人、井上増吉がうたった神戸の「貧民窟」の世界といった、一般的なお洒落な神戸のイメージとは異なる世界も。)
著者が神戸を通して出会っていった文化の海。本書の装丁のように、ぜひ皆様にもその窓を開いて、ご一緒に航海をいただけることを願っております。

色々と申し上げましたが、本書の<はじめに>に勝る内容紹介はないかと思います。下記もぜひ、ご一読ください。

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はじめに――鉱脈の発掘と水域の拡張

 神戸ゆかりの詩人竹中郁の作った「たのしい磔刑」という詩は次のように始まっている。
  子供の一人と背中あはせで
  寝床のなかで寝て思ふのです
  ――この子は鳩かな
  ――この子は風琴かな
  ――この子は鉱脈かな
 狭くて苦しい寝床であっても、子供の一人とその中で背中合わせに寝ていると、その子のいのちの鼓動が伝わって来て、自分は「動悸うつ木の柱」に括られたよう、それはまるで「たのしい磔刑」の状態ではないかというのが詩全体の内容だが、右の引用中にある〈鉱脈〉という比喩を、本書の目指すところの一つを説明するために使わせてもらおう。
 神戸という一つの地域を中心に、そこで成り立つ近代以降の文芸文化のありようを、数多な土砂や岩石が層状に積み重なった地層に見立てるなら、その中を板のような塊りとなって走っていく鉱物の層もあれば、そこから隔たったところにひっそりと埋れている、異なった成分から出来上がっている鉱石や原石もあるだろう。この書では、神戸モダニズムといわれる地表を掘削していって、それらを掘り当てることを試みた。
 たとえば一九二〇年代の神戸の文芸文化空間にあって、その随所に活動の痕跡を残していった、関西学院関係者の動向。同人雑誌全盛期、そのムーヴメントに対して彼らも深くて多様なかかわりを示していく。それは学院のある市外の通称原田の森を起点として、幾筋かの鉱脈が街に向かって伸びていくことを意味する。
 かと思うと、一方には、処女詩集が同時代の文学界の巨匠佐藤春夫のお墨付きをもらったけれども、彼の実質的な活動はそれ一冊で已んだ石野重道、当時新川と呼ばれた細民街の出身で、〈貧〉の光背を携えて立ち上がってくる詩人井上増吉、急激な近代化のため、そこで暮らす人々の精神が跛行状態に陥った街で生きてきたそのこと自体に自身のアイデンティティーを求めていく詩人能登秀夫といった存在がいて、彼らの残した仕事も気になる。これらの鉱石を磨いて、どんな光を発するか見てみたい。
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 こんなふうに掘削ないし測鉛を深く下ろすイメージを強調したが、その一方、「航路」といったことばをそこに含ませたように、本書のタイトルとしてはむしろ海域のひろがりを伝えてくる表現をとった。なぜか。神戸という街の属性を表す〈海港〉という音(オン)は、外界に向けて窓を開け放つ〈開口〉に繋がり、そこから出たり入ったりする人やモノの出会いや交わりを意味する〈邂逅〉ということばとも繋がる。では〈海港〉は〈開口〉することによって、何と出会い、交わるのか。それは一言でいえば、異質なものとである。
本書で取り上げる陳舜臣という作家は、眼下に広がる海景を眺望できる書斎の窓辺に立って、神戸の歴史や文化が波濤の向うにある上海やシンガポールのそれと交わる小説を構想した。そして、それは小田実という作家が追求するものでもあった。彼の小説は三作品を取り上げたが、とりわけ「河」において神戸という街は、一九二〇年代後半における日本、中国、朝鮮との間に生じていく熾烈な関係性を、作品全体を通して描き切っていこうとする小説の発端部に据えられ、三国の絡み合いを際立たせる場所となっている。作中人物の形象を通してその点を確認すれば、主人公の少年は自分と同い年の中国人の家に遊びに行って、中国の革命という未知のものと出会って心揺すぶられ、関東大震災直後の横浜で「鮮人狩りに遭うて殺されかかっ」た朝鮮人の男から、日本人に対する激しい憎悪が込められた「倭奴」ということばを浴びせられてたじろぐのである。
 詳しくは本論に回すが、小説「河」にあって、神戸の中の異国はこれにとどまらない。ドイツもあれば、アイルランドも出てくる。そして、ここで一旦虚構世界の小説から離れて、同じ一九二〇年代の現実の神戸に目を向ければ、そこではまた、アイルランド文学を発信する動きが、関西学院ゆかりの芸術好きの青年や『大阪朝日新聞』神戸支局で活動するジャーナリストらによってとられ始めていたことも見えてくるのである。神戸が生み出す文学は、このような側面も含んで、いくつもの寄港地を目指して水脈を曳いていく。その航跡を追いかけてみたい。
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 が、本書で試みる、神戸文芸文化が経験した異なるものの出会いのドラマの探求は、空間的、地理的な広がりを通じてのみ果たされるものではない。つまりそれは、文学と美術、演劇、舞踊とのジャンル横断といったパースペクティヴをとることによっても行われていく。そしてこのような関心は、ある人物の動きを単独で取り上げても、ある出版物の内容に目を向けても、さらには、あるイベントが企画されていく経緯を問題にしても生じていくのである。
 そのことを、竹中郁を例にとって説明すれば次のようになる。まずは、竹中郁の個としての活動の中に、詩と同じように絵画への並々ならぬ関心や愛着のあったことが認められる。関西学院在学中に関わった雑誌『関西文学』の表紙絵を描いたことから出発し、本論においてはそこまで紹介できなかったが、戦後刊行された『KINYO』でも、軽妙で洒落たペン画を描いてその表紙を飾った。
 郁には美術評も多い。パリ逗留を終えて帰国して以降、地元紙が掲載した彼の展覧会評はかなりの数に上ると思われるが、その転載も含めて一九三〇年代初めの神戸美術界を盛り上げるべく刊行をスタートさせたのが、元町鯉川筋で開廊した通称「神戸画廊」の機関誌『ユーモラス・コーベ』であった。それを通覧していけば、画廊に集う人たちが醸し出す文化的雑居のリアルさが伝わってくる。そしてまた、その渾然とした雰囲気は東京のそれと似て非なるものでもあった。
 郁が関わったイベントとして大きく取り上げたいのが「グランド・バレエ“アメリカ”」である。神戸にほど近い西宮で、一九五〇年に開催されたアメリカ博覧会で上演されたこのバレエが、詩人、画家、音楽家、舞踊家らのいかなる協同に基づくものだったかを考えてみたい。すると、それは一面から見れば、上海租界文化と神戸モダン文化との合作といった風にも見えてこよう。
 ただ、ここで急いで付け加えたいことは、同じ頃の神戸に上海から伝わって来たものがまだ他にもあるということだ。中国抗日戦争時期に盛んに制作され受容されていった木刻画(木版画)がそれだ。これが神戸に版画運動というムーヴメントをもたらしていった時代をどのように評価するのかといった問題に対しても、やはり上海と密な繋がりをもって生じた同時代の東京における木刻ブーム、竹中郁と同じ海港の空気を吸って自身の芸術を育んできた版画家川西英の存在を視野に入れてアプローチしていく予定である。
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 以上、簡単だが、神戸の足下を掘り下げて鉱脈を発見する、神戸という窓が何に向けて開かれていくかを眺望する、神戸に集い、神戸で育つ諸芸術にはどんな相互浸透の動きがあったかを見定めるといった、凡そ三つの考察視角が本書にはあることを述べた。収録論文は全部で九編だが、どの論考もそこでの考察内容は、そうした目論見の中の一つ、もしくは二つ以上のものに関わっていくであろう。論文の配列順は、それぞれが扱う対象や取り上げていく作品の制作年代が、第一章の一九二〇年代から始まって、一九三〇年代、一九五〇年前後、一九六〇年代、そして最終的には第九章で二〇〇〇年代にまで連載が及んだ「河」を扱うというように、時間軸にゆるやかに沿うものとなっているが、別にその順に従って読まれることのみを要請してはいない。読者は興味を持った章から読んで下されば結構である。そして、第五章で話題の一部となっている、一九三〇年代の書き手たちの感興をそそっていた〈アイルランド〉が、九章においては同じ時代の神戸を虚構の舞台に据える小説中で重要な役割を帯びて登場してくることに興を覚えていただければよい。あるいはまた、第六章を読んで、戦後の竹中郁がバレエの台本作りに自己の新たな可能性を求めて行きつつあったこと、そしてそうした嗜好性はすでに彼のパリ遊学時代に胚胎していたことを知ったならば、その後者の時代の郁を扱った第二章に、押っ取り刀で引き返し、読み直していただいてもよい。そういった相互参照の愉しさを味わえる要素も結果的に本書は含んでいると言っておきたい。(『神戸文芸文化の航路―画と文から辿る港街のひろがり―』はじめに全文)