【こはく文庫002】月陰山

朝鮮初の短歌集!
1942年、大東亜文学者大会と同年に刊行された自伝的短歌集を現代に

金素雲訳編『朝鮮詩集』(岩波文庫)の解説者としてかろうじて世に知られる、朝鮮人作家、尹紫遠(ユンジャウォン、1911-1964)。戦前、朝鮮人初の短歌集『月陰山』(たるうむさん)を本名、尹徳祚の名義で刊行した人物であるが、今ではその存在はほとんど忘れ去られている。
『月陰山』には、遠い記憶の中の朝鮮を描いた「桃の花」連作、一六年ぶりの朝鮮行をつづった「帰郷」、東京での暮らし、日本国内の旅、真珠湾攻撃の日の決意、出征した日本の友人、同胞部落、未来への微かな希望など、日本での生活を詠んだ300首の短歌がおさめられる。
1942年というまさに戦争の最中、金素雲の勧めもあり、「朝鮮最初の歌集」と銘打たれ、「魂の哀鴻史」と評された自伝的短歌集『月陰山』(タルウムサン)を当時の姿のまま現代に届ける。

琥珀書房YouTubeチャンネルにて、尹紫遠紹介動画と、尹紫遠が死の一〇日ほど前に病床にて自作朗読を録音した音声データを公開中!

 書籍概要

【こはく文庫002】月陰山(復刻版)

  • 著:尹徳祚(ユントクチョ)(※尹紫遠の本名)
  • 解説:宋恵媛
  • 定価:本体2,000円+税
  • ISBN:978-4-910723-41-9
  • 体裁:A5判並製、約200頁
  • 2022年12月刊行

表紙:玉村方久斗
序:山脇一人

 著者プロフィール

尹徳祚(ゆん とくちょ)

尹徳祚(ペンネーム:尹紫遠:ゆんじゃうぉん)
1911年、朝鮮半島蔚山に生まれる。幼い時に朝鮮総督府の土地調査事業により一家は土地を失う。書堂(漢文を中心とした私塾)と植民地下の初等教育を受ける。13歳の時、長兄を頼り単身横浜へ。1942年の時に自伝的短歌集『月陰山』を刊行。徴用を逃れるため1944年に朝鮮半島北部へ(現在の北朝鮮、松林市)。日本軍の武装解除のため米ソ軍の分割占領ラインとして引かれた38度線をこえ、南朝鮮へ移動。「解放」後の混乱する南朝鮮を目の当たりにし、同時代の多くの朝鮮人がそうしたように日本への再渡航を決意。1946年に蔚山から日本へ「密航」。山口県にたどり着く。戦後日本で小説家を志す。1947年5月、金達寿、 金元基、李殷直らとともに在日本朝鮮文学者会を結成し短期間であるが責任者を務める。東京にて朝鮮国際タイムス社勤務、行商などを経て、クリーニング店を妻と経営。戦後の著書に『38度線』(早川書房、1950年)がある。日韓国交樹立の前年、戦後は一度も故郷の土を踏むことなく、1964年に死去。玄海灘に沈んだ朝鮮同胞を胸に、死の間際まで自身の壮絶な越境の経験と、その背景になった時代状況を書こうとした。

宋恵媛(そん へうぉん)

博士(学術)。著書に『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』(岩波書店、2014年/ ソミョン出版[韓国]、2019年)、編著に『在日朝鮮女性作品集』(緑蔭書房、2014 年)、『在日朝鮮人文学資料集』(緑蔭書房、2016年)等、訳書にキースプラット著『朝鮮文化史──歴史の幕開けから現代まで』(人文書院、2018年)がある。

 版元から一言

こはく文庫の第二弾も尹紫遠につらなるものになりました。「朝鮮最初の歌集」、とうたわれた本書の中身は、戦争中という時代でありながら、哀しみや喪失感の底流する自伝的な作品がならびます。
尹によるあとがきにもあるように、1939年の南朝鮮への帰郷を契機に短歌創作に没頭します。「適確な助詞ひとつを見るけるために、三晩も四晩もかかつたことがあつた。」という言葉にも滲むように、ネイティブ日本語話者でない一人の青年が大きな時代の転換点のなかで自身の魂の安らぎを得るための必死の試みを、ぜひ多くの方にお読み頂ければと思います。
「朝鮮人初の短歌集」ということでご関心を持つ方が多い上、古書では一万円を超えることもあり、同時に刊行しようと思い立ちました。尹青年の戦前日本における苦渋に満ちた、今はもう残らない(書かれたであろう)日記を想像しながら、ひとつひとつの短歌を味わって頂ければ幸いです。

世にさからふ 心をもてば おのづから 言葉少なに なりて久しき (尹徳祚)