1950年刊行当時のオリジナル『ピカドン』について複数のヴァージョンがあることについての補足

WikipediaやSNSをはじめ、オリジナルの『ピカドン』について、オリジナルの体裁や刊行の順番等に議論が散見されますので、版元の見解を以下に掲載させていただきます。

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・1950年刊行当時の『ピカドン』には、左開きと右開きのものがございます。(一部、本文内容の掲載順も異なるものもあります。)

・左開きのものは、表紙に「平和を守る会」篇と記載。裏表紙には、ポツダム書店と記載があります。右開きのものは、その記載はありません。裏表紙には、「ホツダム書店」と記載があります。

・丸木美術館には、今回の解説にも記載のある通り、左右どちらのヴァージョンも複数冊所蔵がございます。(企画展でも両方展示があります。)

・初版本が左開き、右開きの2種類あることを言及している文献に、東邦出版版『ピカドン』(1982)の上笙一郎「解説その2」がございます。(この刊行時、丸木夫妻は存命です。)

・上笙一郎は解説において、左開きから右開きへの改変の際に表紙にも修正を加え、「ピカ」を白色に、「ドン」を黒色にして題名表現としてふさわしくしたと書いております。

・一方で、東邦出版版では内扉掲載の図版に右開き版の表紙を採用し、初版『ピカドン』の図版として掲載しています。

・ただ、東邦出版版『ピカドン』の本のつくり自体は左開きなので、内扉に掲載された表紙(右開き)と東邦出版版の造本の関係性は、どちらの「初版」にも一致していません。

・上笙一郎の解説の最後に「初版の完全復刻でなく、諸版のすぐれている点を取りそれを縫い合わせて、復刻的新版とでも呼ぶべき書物づくりをおこなうこととしたのでした」と書かれていることが、そうした事情を伝えていると考えられます。

・上笙一郎の解説も決してすべて正確というわけではありません。一つに、現在のプレスコードの研究から見れば解説の通り「発禁」であったとは考えづらい点があげられます。「夫妻は千葉県のある町に住んで」という記載もありますが、実際は神奈川県になります。ただ、「俊さんが、記憶するかぎりを話してくださいました。それによるならば―」「初版本の二種では左開き本が先に作られ右開き本が後で作られたものであるらしいことです」と記されている以上、生前の作者への聞き取りを根拠にした唯一の文献として尊重する必要はあると考えております。

・左右どちらとも、発行部数や時機についての確たる証拠は、証言を除くと存在しないこともあり、100%の断定はできませんが、上記の証言や、確たる理由付けにはならないですが、版元名の正しい記載があることからも、左開きが初版であると版元は考えております。

・また、キャプションが横書きであることも、左開きが自然だと判断する根拠にもなっております。

・『ピカドン』は1950年の初版右開き版をのぞいて、これまで、すべて左開きでつくられているので、現在どちらか一方を復刻するとしたら、やはり左開きを選ぶのが自然だという判断で、今回の体裁といたしました。

・解説冊子編輯中に、こうした見解を詳述すべきだとは判断できずにおりました。刊行後の説明となりましたことをお詫び申し上げます。

・企画当初、左開きと右開きの両方を復刻してはどうかという鳥羽耕史先生(早稲田大学)の提案もございましたが、製作費との折り合いもあって断念しました。

・初版刊行当時の状況については、解説冊子の鳥羽論考をご参照願います。

2023.11.3
琥珀書房